椿井 文書。 「椿井文書」書評 求められる歴史 次々に「証明」|好書好日

暴走する偽書論争で史跡が消される!? 馬部隆弘著『椿井文書』の問題点(後編)

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👆 のなんでも版を試みたのが一門らしい• 式内社とは『延喜式』に名前の載っている神社で、古代朝廷の神祇官の影響下にあった神社のことである。 なお、椿井文書の「筒城郷朱智庄・佐賀庄両惣図」では、咋岡神社を現在の飯岡咋岡神社の地に描いていることから、椿井政隆はあくまでも咋岡神社は飯岡村にあってしかるべきだと考えていたようである。 というのも、平成28年(西暦2016年、皇暦2676年)には建保5年入滅説を前提とした「金光上人八百年大遠忌」が行われているからである。

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次に具体的事例を考察する。

【第3回】なぜ歴史を偽造するのか?|光文社新書

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🖖 安樂寺 同山。 右觀音寺別院。 そもそも、応神天皇5世の子孫などと云うまた地方から招聘されたと云う(このこと自体がどこかの「うまのほね」ということを示している)継体天皇自体が胡散臭い存在であるし、そういった胡散臭い存在に関係する「山号」など、胡散臭さが胡散臭さを呼ぶといった類の話であろう。

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ですので、私一人で椿井文書の事例をせっせと集めていました。

【書評】椿井文書 日本最大級の偽文書は何故誕生した?

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🚒 本報告では、期のいわゆる「」の「」性を前提として、戦中期から戦後にかけての古代史叙述を対象に、「歴史を書き替えようとする欲望」という観点からの考察を試みたい。 仕上げに、この寺を1444年作という古文書『興福寺官務牒疏』に加えるが、これも偽書なのである! 要するに、椿井は、架空の中世の「地域史」を捏造し、その地域史に登場する寺を「興福寺」の末寺リストという偽の古文書に記載して、すべてを真実らしく見せかけた。

近世の綴喜郡式内社の比定の様子は以下の通りである。 「」という風に「学者」とついていても、今の「学者」の作法とは違うのでそこは注意しないといけないと思った。

『椿井文書―日本最大級の偽文書』/馬部隆弘インタビュー|web中公新書

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👣 1999年、卒業。 専門は、日本中世史・近世史。

注意しなければならないことは、偽書の中にも史料価値の高いものは存在する、ということだ。 おそらく優れた智識人である椿井政隆はこのことを智識として持っていたのであろう。

【書評】椿井文書 日本最大級の偽文書は何故誕生した?

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❤️ 実際には江戸時代後期に作成されているのですが、中世のものという体裁をとっています。

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・「山城名跡巡行志」浄慧、宝暦4年(1754):式内社に関しては基本的に「山城志」に従う。

偽書

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✇ 「五畿内志」が並河誠所の編纂であるが、並河の式内社顕彰に椿井は大きく影響されている。 『枚方市史』には、穂谷村に所在する三之宮神社の所蔵文書が掲載されており、そのなかにかつて氷室が存在したと記されている。 著者は膨大な労力をかけ、椿井文書を引用してしまった自治体史リストを作成している。

その特徴は、例えば興福寺官務家などに伝わる中世に属する古い資料の「模写」と云う体裁をとるところにある。 なお、三春藩主には秋田孝季(のりすえ)という人物もいるが、秋田孝季(たかすえ)とは別人である。