方丈 記 現代 語 訳 - 方丈記(原文・現代語訳)

現代 語 記 訳 方丈 鴨長明 佐藤春夫訳

現代 語 記 訳 方丈 方丈記「安元の大火」

現代 語 記 訳 方丈 鴨長明『方丈記』の冒頭

鴨長明「方丈記」現代語訳と朗読

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現代 語 記 訳 方丈 方丈記/鴨長明【あらすじ・現代語訳・簡単な要約・読書感想文・解説】

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「方丈記:ゆく河の流れ・ゆく川の流れ」の現代語訳(口語訳)

鴨長明 方丈記 原文 現代語訳 対比 / think0298

これ等の色々な人々の住家は 何時 ( いつ )の時代にでもあるもので決して絶えるものではないのであるが、さてこういう貴賤様々な人々の住家の 中 ( うち )に不変のものを見出すと云う事は出来るものではなく、昔の 儘 ( まま )に現在までも続いていると云う住家は 殆 ( ほとん )んどなく、極めて 稀 ( まれ )に昔の美しさのある物を発見するのが 頗 ( すこぶ )る難しいことなのである。 完了・存続の助動詞「り」 「~ている、~てしまった」 上にサ変未然形四段の已然形(E(え)で終わるやつ) 未然形 ら 連用形 り 終止形 り 連体形 る 已然形 れ 命令形 れ 残るといへども、朝日に枯れ ぬ。 080 怪しき事は、薪の中に、赤き丹つき、箔 はく など所々に見ゆる木、あひまじはりけるを、 尋ぬれば、すべき方なき者、古寺にいたりて、仏を盜み、堂の物の具を破り取りて、わりくだけるなりけり。 全く物すさまじい 勢 ( いきおい )のもので、三、四丁も吹いて行く間に、ぶっつかる所の大きな 家 ( うち )でも、小さなのでも、どんな家でも殆ど 覆 ( くつがえ )したり、破壊したり、破損したりしたものであった。 時には桂大納言に真似て「秋風」と云う曲を琵琶で弾いたりすると松風の 音 ( ね )がこれにまるで和する様に聞えてくるのである。 私の住家は昔の 維摩 ( ゆいま )居士の方丈の庵室を真似て建てたのであるが、自分の行いや信仰の上に於ては一番 魯鈍 ( ろどん )だったと言われている仏弟子の 周利槃特 ( しゅりはんどく )のものにすら劣っているではないか。 古京 平安京 はすでに荒れ果て、新都 福原京 はいまだに出来上がらない。 そして遂には朱雀門や大極殿、大学寮、民部省等の重要な建築を一夜の中に 尽 ( ことごと )く 灰塵 ( かいじん )としてしまった。 078 あやしき賤 しづ ・山がつも力尽きて、薪 たきぎ さへ乏しくなりゆけば、 頼む方なき人は、自ら家をこぼちて、市に出でて売る。 世の人みなけいしぬれば、日を経つつ 窮 きわ まりゆくさま、 少 しょう 水 すい の 魚 いお のたとへにかなへり。 こう考えて見ると 如 ( ど )んな事をしても苦しまなくてはならない世の中にあって自分は一体どうすれば苦しみもなく落ち付いて暮らす事が出来るかと全く解らなくなって来る。 ゆく河(かわ)の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず (河の流れは絶えることがなく、一見同じ水のように見えるが、一瞬たりとて同じ水ではない) ・ 流れていく水の泡も、一見同じように見えるが、実際には消えたり生まれたりを繰り返している ・ この世の人や住居も似たようなものだ ・ 朝に死ぬ人がいれば、夕方に生まれてくる人がいる ・ 大勢の人間がいても、ずっと同じ場所にとどまっているのはごくわずかだ ・ はかない人生を過ごすだけの住まいに何を求めるというのか ・ 安元(あんげん)3年(1177年)、都は激しい炎につつまれた ・ 都の3分の1が焼け、馬や牛などは数えきれないほど死んだ ・ またある時には、巨大な地震が京都を襲った ・ 土は裂け、あらゆる建物が崩れ落ちた ・ こんな危険な土地に、苦労して貯めたお金をつぎ込み住まうなど大変愚かなことだろう ・ しかし、だからといってどこに住み、どういう仕事をすべきか簡単には答えが出てこない ・ 私は50で出家し、60を前に自らの余生を過ごす庵(いおり:簡易住居)をつくった ・ 場所は日野の山奥、広さは1寸四方(約3cm2=方丈)とした ・ 私はこの閑静な暮らしを気に入っている ・ おそらくこの住まいに執着することは、仏の道に反するのだろう ・ 私の一生はまもなく終わる ・ 自らに問うてみた ・ 俗世を離れたのは修行のためではなかったのか、それならばなぜ心は汚れたままなのか ・ 私の心は答えられず、ただ南無阿弥陀仏と2、3回唱えただけだった ・ 建暦2年(1212年)、庵にてこれを記す.

  • 【方丈記の構成】 第一段 無常の根源を追求する 第二段 5つの災厄の詳細 第三段 環境と人との関係 第四段 出家遁世の経緯 第五段 方丈庵の間取り、周辺の景色 第六段 方丈庵での生活 第七段 人生訓 鴨長明の生涯 鴨長明は、1155年 久寿2年 に生まれたというのが通説になっています。 積もり消ゆるさま、 罪 ざい 障 しょう にたとへつべし。 時に建暦二年三月晦日頃、僧 蓮胤 ( れんいん )が外山の庵で 之 ( これ )を書き 誌 ( しる )したものである。 西南に竹の吊り棚を作って、黒い 革 かわ 張 ば りの 籠 かご 三箱を置いてある。 打消 の助動詞「ず」 「~ない」 上に未然形 未然形 ず ざら 連用形 ず ざり 終止形 ず 連体形 ぬ ざる 已然形 ね ざれ 命令形 ざれ 消え ずといへども、夕べを待つことなし。 風 激しく 【注8】吹きて、 静かならざりし 【注9】夜、 戌の時 【注10】ばかり、都の東南より火 出で来 【注11】て、西北に至る。 人々と人々の住家も所詮は朝顔に置く朝露と、朝顔の運命とを 辿 ( たど )らねばならないものである。 一体多くの人々がこの世に生れ出て来るのであるが、これらの人々は 何処 ( どこ )から来たものであろうか。 014 去 い んし安元 あんげん 三年 四月 うづき 二十八日かとよ。 泡の 如 ( ごと )くに消えなくてはならない儘かの人生の中でどんな仕事に面白味を見出し又どんな事で苦しんでいるのかと多くの人々の答を求めたとすれば各種各様に答が出て決して一つのものにはならず、結局何を苦しみ、何を楽しんでいるのか、また何を 為 ( な )すべきか等と云う事も一つの永遠に解き得ない謎になってしまうのである。 語らふごとに、 死出 しで の 山 やま 路 じ を 契 ちぎ る。 Foams appear and disappear at flow stagnations, without any example of staying there for a while.

  • 露が先に地に落ちるか、花が先に 萎 ( しぼ )んでしまうか、どちらにしても所詮は落ち、萎むべきものである。 087 仁和寺に、隆曉法印といふ人、かくしつつ数も知らず死ぬることを悲しみて、その首 こうべ の見ゆるごとに、 額に阿字 あじ を書きて、縁を結ばしむるわざをなむせられける。 明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ 疫癘 えきれい うち添ひて、まさざまに 跡形 あとかた なし。 説明 辺際=果て、限り 027 人の営み、皆愚かなるなかに、さしも危き京中の家をつくるとて、 宝を費し、心を悩ますことは、勝れてあぢきなくぞ侍る。 何しろ強風の吹き 荒 ( すさ )ぶ時であったからたまったものではない。 夏が来れば 郭公 ( ほととぎす )がしきりとあの哀切な声でなき、昔の人の言った様に、死出の旅路の道案内をすると云われているこの鳥の鳴き声は何だか自分が死んだ時には必ず道案内をして極楽往生をさせてやると約束している様に聞かれて真にうれしく感ずるのである。 民草達が貧乏の為に苦しんでいる時とか、何かの変事の為に苦しんでいる時などは尊貴の御身であらせられながら御自身のお住いの皇居の事などは少しもお構いなさらずに、軒の端に不揃いな 茅 ( かや )の端が出ていてもそれさえお切りにならせられずに、その上に民草が食べるお米のない時には年貢さえも免除された程なのである。 又 夕 ( ゆうべ )ともなって夕風が桂の樹にあたってさやさやと樹の騒ぐ時には 潯陽江 ( じんようこう )の夕景色を想ったりするのである。 南、竹の 簀子 すのこ を 敷 し き、その西に 閼伽 あか 棚 だな を作り、北に寄せて 障 しょう 子 じ を 隔 へだ てて 阿弥陀 あみだ の 絵 え 像 ぞう を 安 あん 置 ぢ し、そばに 普 ふ 賢 げん を 画 か き、前に 法 ほ 華 け 経 きょう を置けり。 序 001 ゆく河の流れは 絶えずして しかも、もとの水にあらず。 すなはち、和歌、 管絃 かんげん 、『 往 おう 生 じょう 要 よう 集 しゅう 』ごときの 抄 しょう 物 もつ を入れたり。 風烈 (はげ)しく吹きて、静かならざりし夜、戌 (いぬ)の時 (とき)許 (ばかり)、都の東南 (たつみ)より火出で来て、西北 (いぬゐ)に至る。 東の 際 きわ に 蕨 わらび のほとろを 敷 し きて、夜の床とす。 大体京都に都が定められたのは嵯峨天皇の御時であって、もう既に四百余年も経っているのであるから、何か特別の事情の無い限りはそう 易々 ( やすやす )と都を改める等と云う事はあるべからざる事なのである。 果てには 朱雀門 【注12】、 大極殿 【注13】、 大学寮 【注14】、 民部省 【注15】などまで移りて、一夜のうちに塵灰と なりにき 【注16】。 乞食 こつじき 、 路 みち のほとりに多く、憂へ悲しむ声耳に満てり。 こんな混乱と危険との間を 幸 ( さいわい )にも辛うじてその生命を全うして無事に脱出し得た人々でも自分の住家から大切な家財道具を持ち出す事はまるで不可能で、大切な家財が皆火災の為に灰塵とされてしまうのを目の前に見ていた。 傍 かたわ らに、 琴 こと 、 琵琶 びわ おのおの 一 いっ 張 ちょう を立つ。 016 はてには朱雀門・大極殿・大學寮・民部省まで移りて、一夜 ひとよ が中 うち に、塵灰となりにき。 まして毎日働いたり、歩いたりすることは 此 ( こ )の上ない身の養生となる事なのである。 Such is the fate of men in the world and of the houses in which they live.




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